楽園を遠く離れて

−−−− 趣味とか日常、ときどき同人 −−−−

忘れじの

 おはようございます、花宮あずみです。



 突然ですが、わたしには忘れられない友人がいます。
 もう明確には覚えてはいませんが、15年ほど前になるでしょうか。

「あずみ、会いたいよ。今度、オフ会開かない?」

 或る日、そう持ちかけられたのでした。
 わたしは快諾しました。断る理由はどこにもありませんでした。
 数人が集まったオフ会は、夜遅くまで続きました。
 カラオケ、居酒屋。いろんなところをまわりました。弱いお酒も少し、嗜みました。

「あぁ、あの日はすっごい楽しかった!
 今度はうちの近くでオフしようよ。良いお寿司屋さんがあるんだよ」

 チャット全盛期  
 チャットでその発言を目にしたのが、彼女との今生の別れになるとは、思いもよりませんでした。
 それともそれは、わたしがあまりにも子どもだったからでしょうか……今となっては、知るよしもありません。


 それからしばらくして。
「Yを見かけないんだけど、知らない?」
「特に何も聞いてないけど……」
 チャットは、彼女の話題で持ちきりになりました。
 誰もが彼女の登場を、待ち望んでいました。

 すると、Sという人が、流れるような文章をチャット画面に打ち込み始めました。
「あずみ、Yは死んだんよ」
「末期のがんだった」
「Yは医療の仕事をしていたから、薄々と勘づいていたとは思うよ」
「あのオフ会のときには、もう骨にまで転移してたんやて」
「同情されたくないから、隠しておいてくれって頼まれたんよ」

 わたしは、頭の中が真っ白になりました。
 ……ああ、何も考えられないってこういうことをいうんだ  
 気づいたらわたしは、床に這いつくばって号泣していました。
 自分のどこからこんな大声が出るのか、とびっくりするほどの、それは慟哭でした。
 あふれ出る、こぼれ落ちる涙で、前が見えなくなるほどに泣きました。声をあげて。



 Yは優しい女性でした。そして、強い母親でもありました。
 オフ会のとき、わたしが真っ先に気にしたのは、Yの脚でした。
「Y、どうしたんその脚。杖までついて痛そうやね。出てきて大丈夫やったん?」
「結構ひどく、挫いてねぇ。骨までガタがきちゃったみたいって整形外科で言われた」

 あのとき。
 なぜわたしは。
 Yのことばの真意を見抜けなかったのかと、今でも自分の幼さを悔いています。
 Yは、決して嘘をついてなどいなかったのです  彼女の脚に、がんは転移していました。

 医療に携わる仕事をしていた彼女には、自分の余命がわかっていたのかもしれません。
 入院もせず、自宅で読書をしたり編み物をしたりして過ごしていたことを、後から知りました。


「ねぇ、あずみ、知ってる? モルヒネよりも強い鎮痛効果がある薬があるんだよ。
 小説のネタに使えるかもね」
 チャットでそう彼女が教えてくれたのは、彼女が医療系の仕事をしていただけではなかったのです。
 Y自身が疼痛コントロールにその薬を使ったことがあったからこそ、知っていたのだと今では思います。

 ここでもやはり、わたしは彼女の言いたいことを摑み損ねていました。
 そうして、2度目のオフ会を迎える前に、彼女は逝ってしまいました。



 それ以来、わたしにYの死を包み隠さず告げたSは、急にチャットで疎まれるようになりました。
 確かにSにも原因はありますが、わたしは今、こう思うのです。

   憎まれ役を買って出たのかもしれないと。



 それからチャットは終焉を迎え、今やYやSのことを知っている人間も、少なくなりました。
 彼ら・彼女らとは、かろうじて別のSNSでつながっている、そんな感じです。



   梅雨に入ったら。
   紫陽花が咲くたびに。

 わたしは、YとSを思い出すのです。



 それからずいぶん経過してからになりますが、わたしは結婚を控えていたこともあり、乳腺外科を耳鼻科の主治医から紹介してもらいました。理由はもっともなもので「もし、わたしの体のどこかに異常があれば、嫁ぐ前に(皆に)伝えたいし、治しておきたいから」でした。
 検査結果は、異常なしでした。
 来月か再来月には、再度乳腺外科への予約を入れる予定です。
 そんなわたしも、去年は子宮がん検診で引っかかり、精密検査を受けました。結果は悪性ではありませんでしたが、診察日の前夜などは怖くてたまらなくて、泣いたりしていました。診断結果を知らせられるだけでも、こんなに怖いのです。
「あなたには進んだがんができていて、5年生存率は……余命は……」
 と知らせられる人の恐怖や絶望は、いかばかりかと思われます。


 わたしは、がんの治療のみでなく、ショックを受けた精神面での治療も患者さんに対しておこなわれることを、願ってやみません。
 おそらく、Yも泣いたのだと思いますから。わたしが怖くて泣いた以上に。