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楽園を遠く離れて

−−−− 趣味とか日常、ときどき同人 −−−−

草冠の名前

本棚の中

 少女も女性も、二度目の出会いは桜に惹かれるようにして  

草冠の名前 (フラワーコミックス)


「…そんな目にあってて、よくグレなかったわね」
「グレるのだって、お金がいるんだよ?」

 これは、作中に出てくる“ちがや”と“ない”の会話の一部です。

「一日一食、食うや食わずやで生きてる中学生に、グレたりしてる余裕があると思う?」

 頭に包帯を巻かれ、口元の内出血も痛々しく、しかし淡々と語る、少女・影山ない。
 わたしのかよっていた中学にも、窃盗をしたり、煙草を吸ったり制服をだらしなく着崩したり、人が掃除した後に唾を吐いていく、いわゆる世の中から「グレている」と呼ばれるような子はいました。当時のわたしには彼ら・彼女らを擁護することはできませんでしたが「ああ、あの子たちはこの『遊ぶための』お金がどこから出ているか知らないのだな」とだけは感じました。知っていても、やめようとはしなかったでしょう。おとなたちに逆らうようにして。


 中学生といえば、小学生高学年や高校生と変わらないくらいの、あるいはそれ以上の育ち盛りです。にもかかわらず、ないは高校の3年間を過ごす、その足掛かりとなる日々のためだけに、昼食のパンをこっそり食べずに、お金を貯めていました。
 しかし、そんな一生懸命貯金したお金も、母親に使われてしまいます  「美容室に行くから」と。贅沢をすれば、美容室では数万円もしくはそれ以上かかることもあります。それは、バイトすら許可されていない中学生のないにとっては、たいへん大きな金額であることは、容易に察しがつきます。

 母親の愛人の男である清は、ないにこう怒鳴り散らします。
「オヤジの2・3人もひっかけりゃ、毎晩4・5万にはなるだろが!! どこにでも行って稼いで来い!!」



 おとなになったわたしから見ると、ないの母親も男に依存しなければ生きていけないような気の毒な女性で、清はそれ=自分をヒモとして扱うお人好し をカモにする悪い大人の男です。ないを襲い、ちがやを改造銃で撃った清がそういう末路をたどることになったのも、当然といえば当然の報いといえるでしょう。
 一方、母親を車で轢殺されたないは、母親の死体を一瞥しただけで、撃たれたちがやに駆け寄ります。こんなことを今まで娘にしてきた母親ならば、一瞥を貰えただけでもましなんじゃあないか、と、ないは「自分は冷酷だ」と言いますが、それ以上に冷酷なわたしが画面のこちら側にいます。


 ないを保護してくれた女性であるちがやには、家族がいました。過去形です。
 ちがやは平凡な会社勤めで、それでも頑張って貯めたお金で、おばあちゃん(おじいちゃんには先立たれている)、ご両親にヨーロッパ旅行をプレゼントしました。出発は桜の花びらの舞う花曇りの日でした。三人を載せたタクシーは事故を起こし、ちがやのもとへ報せがいきます。
「私が殺した気がしたわ」
 いつかのないのように、ちがやも淡々と続けます。
「あの日はね、お墓参りの帰りだったの。その夜にあなたが倒れていたのよ」
 墓参の帰り際、ないとちがやは知らずのうちに出会っていたのでした。そして夜、清に暴力を振るわれたないは、自宅と呼べるかすらわからない家を飛び出し、ふらふらとあてもなくさまよい  ちがやに、桜の樹の下で見つけられます。


「あなたはあったかい子よ」


 傷を負ってベッドに横たわるちがやは、ないにそう言います。ないはそんなちがやの枕元で涙をこぼし、ちがやの強さ、そして深い優しさに再度触れたのでした。




   ちがやとないを見ていると、私はほんの少しだけ、子どもの頃のわたしを思い出すのです。庇護と保護が必要で、でも誰にも頼ることができない面をかかえていた、幼いわたし、それはない。もういいよ、頑張ったね、と、そんなないをそっと抱きしめるちがや、それがおとなになったわたしです。
 ふたりはときどき今でも、わたしのこころの中に現れるのです。



「あたしも大人になったら自分の名前、草かんむりのつく字にする!」
 ちがやが“茅”と書かれるのだと知り、ないはこう作中で言いますが、よく考えてみれば、わたしにも草冠はありました。