なかなか思うようにはいかぬもので

 ポンコツボディの花宮です、こんばんは。
 花粉症は日に日に酷くなりゆき、化粧をしようがしまいが顔面崩壊しております。



 今日は体調もすぐれず、ぼんやりとスマホなんぞ眺めていたわけですが、その中には原稿のアイディアやちょっとした下書きが入っています。そうしてわたしはぼんやりと再度考え込んだわけです。
「あれ、おかしいな。こんなネタあったっけ……?」
 中にはタイトルがついておらず、いきなり始まる文章もあったりしまして、それがまた下書きの混乱を呼ぶのです。なので、一応タイトルをつけてきました。メモ代わりとでも申しましょうか。


ディンゴの髭』
 ラブコメ
 早よ進めんかい、みたいな内容ですね(書き足しがあってビックリしました)。

『彼女がそれを口にするまで』
 ドタバタ。
 何ですかこのタイトル……同じく早よ進めんかい、という内容でした。

『海の虹』
 ラブコメ
 あー、これはもうラストあたりで良いです。だってもう(略)なんですから。

『ラズロの計略』
 (18禁)
 ……ラズロってこんな酷い男だったっけ……(あんたのが酷いな/ディンゴ談)

『春嵐』
 ラブコメ
 もう時期的に過ぎてしまったわーい!(花粉症の為か涙目で)

『タイトルなし1』
 (18禁)
 これはいずれ別作品と合流させるつもりの、ディンゴの話です。

『タイトルなし2』
 (18禁)
 本を読むようになったアンジェラが、不思議に思ったことなど。

『タイトルなし3』
 ジャンル迷い。
 ネタしか書かれていません。アンジェラの出生にまつわる話です。


 こうして羅列してみると、明らかに18禁が多いです、わたし  今更何を、とかいう感じですね。


 さて、台割表も出来ましたので、春  冬の予定でした  には出せたら良いなー。良いよねー! と考えている、『楽園追放』同人誌で、挿絵担当&文章担当などを発表したいかと考えております。ということで、挿絵は荒岸来歩(あれきし・らいほ)さん。成年向け雑誌『阿吽』などでご活躍の、羽黒ちゃんとメイドさんが大好きな作家さまです。どういうわけか、わたしの文章に絵をつけていただけることになりました。文章はお馴染みの花宮あずみ(かみや・あずみ)です。
 小説は3部構成のくせに3だけが長いという、泣けるシステムになっています。「泣ける」って何がって、それは全てわたしの遅筆具合がですね。ええ。詳細はここには書けませんが、あんなシーンやこんなシーンもございます。
 現在、ピクシブのブースを使っての通販をしようかと目論んでおります。
(但し、18歳未満の方、18歳以上でも学校から禁じられている方などは、購入を禁止させていただいております)



 そろそろ布団に入らねば危険な体温(冷え性)になってまいりましたので、今回はこの辺で。

台割表を作ってみました

 気が付いたら誕生日も過ぎていた花宮です。ハッピーバースデー、わたし。
 もうハッピーバースデーなんて歳じゃないことよ、おほほほほほほ!(涙)



 新しい抗生剤が効き咳が止まり強烈な副作用に撃墜され、春疾風も過ぎ、やっと体調も回復してきまして、今頃になって台割表(しかも今日サイトから見つけるって、どれだけ脳の処理能力遅いの……)なぞプリントアウトして下書きをしてみました。
   もっとも、酷い花粉症がわたしを数日後には待っていますが、それはさて置き。


「84ページでございますね♪」


   詰めてもこうなったのです。
 その次は92ページを選択するしかないのです(A5なので)。


 更に料金表を下へとスクロールして、わたしは叫びました。


「ホ、ホワッツ!?」(逆転裁判の小中大な口調で)


 そこには、本来の目的であるオンデマンド印刷の料金が書かれていましたとさ。つまり、わたしは間違ってオフセット印刷の料金表と2時間近くにらめっこしていたのでした。
 こうして、どうしようもなく抜けている花宮あずみは、料金の再計算に追い込まれました。

草冠の名前

 少女も女性も、二度目の出会いは桜に惹かれるようにして  

草冠の名前 (フラワーコミックス)


「…そんな目にあってて、よくグレなかったわね」
「グレるのだって、お金がいるんだよ?」

 これは、作中に出てくる“ちがや”と“ない”の会話の一部です。

「一日一食、食うや食わずやで生きてる中学生に、グレたりしてる余裕があると思う?」

 頭に包帯を巻かれ、口元の内出血も痛々しく、しかし淡々と語る、少女・影山ない。
 わたしのかよっていた中学にも、窃盗をしたり、煙草を吸ったり制服をだらしなく着崩したり、人が掃除した後に唾を吐いていく、いわゆる世の中から「グレている」と呼ばれるような子はいました。当時のわたしには彼ら・彼女らを擁護することはできませんでしたが「ああ、あの子たちはこの『遊ぶための』お金がどこから出ているか知らないのだな」とだけは感じました。知っていても、やめようとはしなかったでしょう。おとなたちに逆らうようにして。


 中学生といえば、小学生高学年や高校生と変わらないくらいの、あるいはそれ以上の育ち盛りです。にもかかわらず、ないは高校の3年間を過ごす、その足掛かりとなる日々のためだけに、昼食のパンをこっそり食べずに、お金を貯めていました。
 しかし、そんな一生懸命貯金したお金も、母親に使われてしまいます  「美容室に行くから」と。贅沢をすれば、美容室では数万円もしくはそれ以上かかることもあります。それは、バイトすら許可されていない中学生のないにとっては、たいへん大きな金額であることは、容易に察しがつきます。

 母親の愛人の男である清は、ないにこう怒鳴り散らします。
「オヤジの2・3人もひっかけりゃ、毎晩4・5万にはなるだろが!! どこにでも行って稼いで来い!!」



 おとなになったわたしから見ると、ないの母親も男に依存しなければ生きていけないような気の毒な女性で、清はそれ=自分をヒモとして扱うお人好し をカモにする悪い大人の男です。ないを襲い、ちがやを改造銃で撃った清がそういう末路をたどることになったのも、当然といえば当然の報いといえるでしょう。
 一方、母親を車で轢殺されたないは、母親の死体を一瞥しただけで、撃たれたちがやに駆け寄ります。こんなことを今まで娘にしてきた母親ならば、一瞥を貰えただけでもましなんじゃあないか、と、ないは「自分は冷酷だ」と言いますが、それ以上に冷酷なわたしが画面のこちら側にいます。


 ないを保護してくれた女性であるちがやには、家族がいました。過去形です。
 ちがやは平凡な会社勤めで、それでも頑張って貯めたお金で、おばあちゃん(おじいちゃんには先立たれている)、ご両親にヨーロッパ旅行をプレゼントしました。出発は桜の花びらの舞う花曇りの日でした。三人を載せたタクシーは事故を起こし、ちがやのもとへ報せがいきます。
「私が殺した気がしたわ」
 いつかのないのように、ちがやも淡々と続けます。
「あの日はね、お墓参りの帰りだったの。その夜にあなたが倒れていたのよ」
 墓参の帰り際、ないとちがやは知らずのうちに出会っていたのでした。そして夜、清に暴力を振るわれたないは、自宅と呼べるかすらわからない家を飛び出し、ふらふらとあてもなくさまよい  ちがやに、桜の樹の下で見つけられます。


「あなたはあったかい子よ」


 傷を負ってベッドに横たわるちがやは、ないにそう言います。ないはそんなちがやの枕元で涙をこぼし、ちがやの強さ、そして深い優しさに再度触れたのでした。




   ちがやとないを見ていると、私はほんの少しだけ、子どもの頃のわたしを思い出すのです。庇護と保護が必要で、でも誰にも頼ることができない面をかかえていた、幼いわたし、それはない。もういいよ、頑張ったね、と、そんなないをそっと抱きしめるちがや、それがおとなになったわたしです。
 ふたりはときどき今でも、わたしのこころの中に現れるのです。



「あたしも大人になったら自分の名前、草かんむりのつく字にする!」
 ちがやが“茅”と書かれるのだと知り、ないはこう作中で言いますが、よく考えてみれば、わたしにも草冠はありました。

久々の更新です

 帰省時にちょっと酷い風邪をひいてしまい、お世話になった内科で二度も診ていただく羽目になった花宮です、こんにちは。


 一度の受診では完治せず、更に帰宅した日にも夫が風邪をひいており、少し「まずい……」とは思ったのですが、ひとつ屋根の下に住んでいる限りどうしようもありません。
   それから数日後、わたしも同じ風邪をひきました。


 一昨日、割と高熱が出まして、昨日、また内科にお世話になりました。
 抗生剤と鎮咳剤のおかげで、今は比較的、楽な時間を過ごせています。
「発熱しない限り、自由に過ごして貰って構いませんから……」
 先生、そんな、わたしが何か末期の病人みたいな言いかたをなさらないで下さい。
ディンゴ病はもう末期ですが)


 布団の中で激しく咳込みながらスマホサイト(ハッカドール)を観ていると、
 デ ィ ン ゴ が 初 の 立 体 化 !
 とあるではないですか。これは買いですよ。買いですよ花宮さん!
 そんなわけで、今から年甲斐もなくわくわくしているのでございます  
(予約は2月7日からだそうです。詳しくはアニプレックスプラスへ)



 本の感想は過去に読んだものを書きたい衝動はあるのですが、まだ原稿が……いえ、1作分(1冊分ではありません)書いて吐き出してからにします。

明日から明後日にかけて

 友人が車で迎えに来てくれるとのことで、旅をしながら帰宅します。
 和歌山県あたりへ行く予定です。初・和歌山! なのです!
 結局、本はほとんど読めずじまいでした(体調不良などがあり)。

 旅の実況はツイッターでやります。
 アカウントは @PureDragonBlue です。

明けましておめでとうございます

 旧年中はお世話になりました。
 今年もよろしくお願いいたします。

 2016 元旦


 花宮あずみ

帰省します

 明日より、一ヶ月程度の帰省を予定しています。
 原稿資料以外の書物は置いていくので、あまり「本棚の中」を更新出来ないかも知れません。
 実家にまだ漫画や小説があるので、読めば何か書きたいです。

レインツリーの国

 こんにちは、花宮です。



 一昨日のことになります。
 友人と『レインツリーの国』を観に行ってきました。
 座席はそれなり埋まっていました。


 この作品は、聴者(健聴者)と聴覚障害者の恋愛小説をもとに、映画化されたものです。
 わたしは最初に有川浩先生の作品を、『レインツリーの国』で知りました。そして同時に、男性作家だと勘違いもしていました。また別の友人に「有川浩って女性だよ?」と言われるまで、この人はやたらヒットを飛ばす男性作家だなぁ、という感覚で居ました(笑)。そういえばわたしが所属していた文芸部には、一見男性と見えそうなペンネームで書いていた子も居ました  女子大の文芸部でしたので、それは直ぐに分かってしまうことなのですが。

 その「有川浩は女性だって」と言った友人が放ったひと言は、
「なぁ、おねぇ(わたしのこと)、やっぱり健常者と障害者との恋愛には溝があるんかな?」
 でした。わたしはそのとき彼に何と答えたのか、覚えていません。残念ながら。
 そして彼は婚約していた女性と結婚し、わたしもお付合いしていた男性のもとへ嫁ぎました。あれから数年が経過しましたが、友人がこの話を覚えてくれているかまでは、正直わたしには分かりません。ただ、フェイスブックで、ときどき連絡を取ったりする程度ではあります。

 溝があるのか  全くない、と言えばそれは嘘でしょう。
 そしてそれは、障害のあるなしに関わらず、総ての恋人たちに言えることでありましょう。



 友人とわたしが上映されているところへたどり着いた時は、すっかり照明も暗くなっていました。
 微ネタバレをしてしまうと、伸の本棚、すなわち『フェアリーゲーム』の隣に立てかけられている文庫本に目がいきました。
 もちろん上映中なのでもう声には出せませんが、
マルスクやん! 冲方丁先生の本だよ!」
 『フェアリーゲーム』の隣には、そう『マルドゥック・スクランブル』が在ったのでした! ちなみにこの書物は版を重ねて実在し、最初に出た版、改訂を加えられた版、そして完全版の三種類が出版されています。
 最初のものはもう古書でないと手に入らないのですが、あとがきがありました(他の二種にはありません)し、参考資料文献もその名を連ねていたものです。わたしがSF、特にハヤカワ系にどっぷりとなるきっかけを作ってくれた、大切な本です。
 ……とりあえずマルスク愛はまたいつか、違う何処かで語りたいと思います。
 とにかく伸はSF系が好きなんだろうなー、と思わせる、しかし小ぶりな本棚でした。


 ところが。
 伸とひとみの初待ち合わせの場所は書店なのですが、伸がひとみに声をかけるところでまたしてもハヤカワの書棚が映り『楽園追放』『サイコパス』などが並んでいて、ここでも「おおっ」と思わせられました。
 他にも「おおっ」「これは!」と思ったシーンがありましたが、ここでは割愛させていただきます。まだ劇場へ足を運んでおられない方も多いでしょうし、全ネタバレしてしまったら良くないだろうなということで。
ツイッターでは、ところどころそんなにネタバレしないように書いてはありますが……)
 ふたりとも、どれだけSF好きなん……いやわたしが?(笑)


 映画は小説版とほぼ同じような進行です。
「愛さえあれば、なんて嘘だよ」  というのは作中に出てくるヒロインの台詞ですが、ああ確かにそりゃあ嘘だな(声:ディンゴ三木眞一郎さんで脳内再生←)と思いました。愛さえあればなんでも、だなんて本当に何でも乗り越えられるわけではないからです。
 わたしは思うのですが、ヒトのココロに愛という名の容れ物があったとして、許容量は個人差だ、と。そう思うわけです。マザー・テレサのように「愛しなさい、自分の心が痛くなるほどに」と堂々と言える人が居るかたわらで「愛って何なの?」と泣いている傷まみれの子どもが居る、両極端ではありますがそのような感覚でしょうか  そして伸もひとみも、その真ん中に居るわけです。

「ちょお待ってや。ひとりで何もかんも決めんといてや」
 これはヒロインが別れを選んだ時の伸の気持ちですが、このことばも言ってしまえば、これから会って(聴覚障害のことが)分かっていくひとみに対して、そしてヒロインの恋人であった少年の気持ちから出たものだろう、とわたしは感じました。
 ひとみはよく、ひとりでものごとを決めようとしてしまいます。「そうでないと不自然に見える」からという気持ちからくるものではありますが、周囲からはそれを「ワガママ」だとか「自己中」だとか思われてしまいます。のっけからこれで損してるなぁという感じがしましたが、障害を持って10年ならそんなもんなんだろうなぁ  と、スクリーンを見つめてやや冷めた気持ちで居るわたしの姿もありました。
 冷めた気持ちで居た、という話も、それが何故かは、また別の何処かで書きたいとは思いますが。



 さて、障害を負った人には『受容』が必要です。その為のプロセスも、無論のちのち必要となってきます。
 一生負っていかねばならない障害を持ったからだ、それと向き合う為のこころ、生きるたましい。
 わたしは心理学をやったわけではないのですが『受容の為にプロセスがある』という理解はあります。しかし、それがひとみの中でどのような役割を果たしたか、までは作中でえがかれていません。ひとみの性格からして「レジャーに連れ出してくれた親に対して怒る」というシーンはあまり想像出来ませんから、これから伸に聞いて貰うことになるのかも知れません。

 10年ありゃ充分じゃねぇの? と考えられる方もいらっしゃるかも知れませんが、わたしは「そうじゃない」と考えます。幼少期に音を失うことと、ある程度成長してから音を失うことは、違うからです。
 幼少期ならば特別支援学校(つまりろう学校)・学級に入るなりして、将来への見通しも同時に親子間で決められてゆくでしょうが、ひとみの場合は成長期真っ盛り(高校時代)に音を失うという設定になっています。「だから普通に喋れる」という設定も付いてきますが、ここでやはりわたしは「やっぱりそうじゃないなあ」と考えざるを得ないのです。
 ただ「体調で」「個人差で」「聴こえは変わる」というのを強調してくれたのには、激しく「そうだね」と同意します。


 成長期真っ盛りに音を失うということは。
 それまで抱いてきた夢がことごとく打ち破られる、ということでもあります。


 ひとみの、障害を負うまでの進路はなんだったのかな  と、わたしはつい考えてしまいます。
 もし音楽系の進路だったら、わたしは何を思うのかな。と。
 有川浩先生には、出来れば後日譚より前日譚を書いていただきたいなー。そんなふうにも考えています。



 障害メインの話になってしまいましたが、わたしは伸の気持ちが少し、ひとみの気持ちも少し分かります。少し、というのはわたしがふたりそのものではないからで、どうしても傍観者=観客 になってしまう立場に居るからです。
「理解は出来へんけれども」
「ひとみさんも俺の気持ち、理解出来へんやろうな」
 ひとみは「伸さんには分からない」と吐露します。それに対して伸はそう答えました。

   一卵性双生児ですら、完全理解など有り得ないのに、ましてやあかの他人どうしが何故。

 という前提がわたしの中では確立されているので「そりゃそうだろ」のひと言に尽きます。何故か、わたしの脳内では先ほどから三木眞一郎さんのお声で再現されていますが、お気になさらず。
 ただ「理解は出来へん・分からない」けど「分かり合おうとすることはやめたくない」  それがふたりを繋ぐ糸ではないかな、と感じました。何の(身体的・物理的)障害の無いカップルでも、そうだと思います。
 前々回のブログではないのですが「俺、なんであんな面倒くさい子が好きなんやろ」……そこはロジックじゃないよ、伸(苦笑)。
「ミサコさんと付き合うたら楽やろな。楽しいやろな。でも俺、直ぐに飽きられてしまうわ」
「俺、面倒くさい話とか、ややこしい話するのが好きやねん」





 上映後、友人がぼそっと言いました。
「他人の読書感想にケチつけるなんてクソリプだなあ」
「いや、あれツイッターじゃないから!」