お久しぶりです

 お久しぶりです。
 花宮あずみ、改め、陵 蒼真(みささぎ そうま)、です。



 数ヶ月、拙ブログが更新できませんでした。
 その理由は「アレルギー性の白内障」によるものです。

 あれは、今年3月くらいだったと記憶しています。
「何だか見えにくい……?」
 ということで、最寄りの眼科を受診したところ、
「両眼とも白内障になっています」
 とのことでした。
「症状が進行し過ぎていて、うちの設備では難しいです。一度大きな病院にかかられることを検討してください」

 わたしは、しばらく動けませんでした。
 何故ならば、
緑内障の発作が起きる可能性もある」
 と、告げられたからです。
 大きな病院、と言われて思い出したのは、以前にがん検診でお世話になった病院でした。
 そこへ、紹介状を書いていただくことに決めました。



 紹介状を持参して、わたしは夫と一緒に眼科を受診しました。
「かなり進んでいますね……手術は5月にしましょうか」
 と、のちに主治医となる方はおっしゃいましたが、わたしは視力を次第に失ってゆきました。
 4月に入る頃には、わたしの視界はもう、真っ白な靄に包まれたかのような感じでした。



 5月下旬、6月中旬の手術まで、わたしは真っ白な世界で生きてきました。
 そのことが、わたしに何か影響を及ぼしたのか、わたしにはまだ分かりません。
 現在、両眼ともに経過観察中です。手術はうまくいきました。

 通常、白内障の手術はものの数分〜15分程度らしいのですが、
「どれくらいかかりましたか? 手術の時間……」
 と、車椅子を押してくれる主治医に訊ねたところ、
「陵さんのはコッテコテの白内障だったから、30分くらいかなぁ?」

 コッテコテ……

 まるで、大阪のお好み焼きのソースのように言われました(笑)
 白内障の入院は、3日で済みました。
 普通は日帰りか1泊だそうですが、わたしの場合は進行し過ぎていたので、
「水晶体を包んでいる袋が脆くなっている可能性があり、眼内レンズを無事に入れることが出来ないこともあります」
 と、事前に告げられていたからです。
 笑い話に出来るのは、今こうして、両眼ともに見えていて、手術はつつがなく終了し、後遺症も特にないからです。


 2ヶ月以上見えていない生活を送っていましたが、やはり見えるって良いですね!
 目は見えて当たり前、耳も聞こえて当たり前、と思いがちになるかも知れませんが、どちらも大切にしていただければと思います。
(わたしは聴覚障害を持っていますので「聞こえていて当たり前」とは考えてはいません)

切なくて愛おしい、そして哀しいということ

 こんにちは、花宮あずみです。
 皆さまがた、いかがお過ごしでしょうか?



 ご報告が遅れましたが、今月20日の夕方、18時49分に愛猫が息を引き取りました。
 20歳、老衰による腎不全と闘病中のことでした。


 この愛猫については、不思議なエピソードがあります。
 猫は(迷信でしょうが)、
「飼うときに、あらかじめ何歳まで一緒なのか決めておかないと、あとで化ける」
 と言われることもあります。
 あの子を飼い始めたとき、わたしは決めました。子猫であった愛猫を抱き上げて。
「キミはね、20歳まで一緒に生きるんだよ。わかった?」
 まだ幼かった愛猫は「うん」とうなずいたように見えました。
 それから、引っ越しを3回しました。
 3回目の引っ越し先で、愛猫は天に召されました。

 夫にこの話をすると、
「何処まで律儀な猫なんや……」
 と、涙ぐんでいました。


 猫の避けられない宿命として、腎不全があげられます。
 愛猫は慢性腎不全が急性化し、死に至ったものと思われます。
 さて、新居の近くの獣医さんに診ていただいたのですが、
「腎臓の数値と筋肉の衰え以外はすごいしっかりしていて、歯なんて全部揃ってる!」
 と、先生は驚かれていました。

 というのもその受診時は、4歳のそっくりな猫ちゃんの歯槽膿漏の手術日だったのです。
 見知らぬご夫婦の猫ちゃんですが、
「あらぁー、うちの子によう似てるわぁー! ハチワレちゃんやねー」
 と、猫ちゃんが入っている段ボール箱を見せていただきました。
 そこには、愛猫が若ければこんな感じだなぁ、という、ふっくらとした可愛いハチワレ猫ちゃんが居ました。
(愛猫は老衰と腎不全で、筋肉がごっそり落ちてしまっていました)

 たった4歳の猫ちゃんが歯を抜かれた隣のケージで、愛猫は治療を受けました。
 どの子もおそらくは、愛猫より幼いか若かった筈です。何しろ、20歳なのですから。
(猫の20歳は人間に換算すると100歳超にあたります)
「長老さまって感じだな」
 まだその頃「あと少し頑張れるかも」と思っていた夫は、微笑んでいました。

 4歳のハチワレちゃんに麻酔をかけて抜歯した先生が、何を思われたかまでは知りません。
 ですが最後の診察で先生は、
「20歳まで生きて歯も揃ってる猫ちゃんって、僕でも殆ど診ないです」
 と、おっしゃっていました。
「してあげられることはもうあまり無いですが……尊敬の念で接してさしあげて欲しいです」


 それから、少しして、愛猫は虹の橋を渡りました。
 愛猫の死を看取ったのはわたしだけでしたが(夫は仕事中だったので)、何故か「孤独じゃない」感覚に包まれていました。
 ラインで愛猫の為のルームを作り、そこで友人ふたりが見守ってくれていたのもあるでしょうが……。

 愛猫は意識が朦朧としているのか、うっすらと笑っているような眼差しで眠っていましたが、ときどき、意のままにならぬ身体をよじらせて、何か液体を吐いていました。わたしはその都度に愛猫の身体を支え、誤嚥したりしないように吐かせていました。
 決して「良い匂い」とはいえない、なんともいえない「匂い」なのに、わたしは不思議と話しかけていました。
「服ならなんぼでも洗える。ペットシートもたくさんある。吐きぃ、すっきりしぃ。そしたらねんねしような」
 今まで書いたことも呟いたこともありませんでしたが、わたしは嘔吐恐怖症です。
 吐かれるのが怖い、吐くのはもっと怖いしつらいしいやだ、という心因性の病気です。
 そんなわたしが愛猫の吐瀉物にまみれながら必死で看病できたのは、今でも不思議でたまりません。
「それはね、愛だよ。無償の愛だよ」
「わたしも子どもが居た頃はそうだったなあ」

 ──アガペー


 わたしは愛をしらない子どもでした。母性愛など、わかるはずもありません。
 しかし、わたしは共に過ごすうちに、愛猫に教えて貰った気がします。

 愛するということを。
 この子のためなら、なんでも「良い」と言われることはしてあげたい。そんな気持ちを。



 わたしのところにきてくれて、本当にありがとう。
 ずっと、ずっとずっと、キミのことは忘れないよ。
 もしかしたら、キミには弟か妹が出来るかも知れないけど、キミは唯一のキミ。

 わたしのいのちあるかぎり、キミはわたしの中でずっと、生き続ける。

半壊全壊?

 どうもこんばんは! 花宮あずみです。
 なんとか、生きています(8月あたりに公表させていただいた病気は、治っていません)っていう有様ですね。

 今日は『楽園追放』二次創作小説を懲りずにPixivに投下してみました。
 って、大晦日にクリスマスネタですか……(遅)。
 ほのぼのでお間抜けな話となっております。よろしければぜひ。

「シンクロ・ホワイトクリスマス」/「花宮あずみ」の小説 [pixiv] https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9068847

 大晦日らしいことをひとつもせず、今年も余すところ2時間ほどとなりました。
 掃除は動ける日に動ける範囲でやります。そうします。それがいいです。


 2017年は、たいへんお世話になりました。
 皆さまがよき2018年を迎えられ、そして過ごせますように。
 来年もよろしくお願いいたします。

 それでは、またお会いしましょう。


 シックハウス症候群で半壊している、花宮あずみでした。

続いてだいじなお知らせです

 こんばんは。花宮です。


 Twitterにも先ほど呟いたのですが、引っ越します。
 本日、夫の異動先が決まりまして、その近くになるとは思われます。
 物件を幾つかネットで探してみて、6件ピックアップしました。

 早くとも、引っ越しは11月になると思われます。
 遅くとも、今年じゅうには引っ越し完了させておきたいと考え、進めています。


 何処に住むかまだ決まってはいませんが、リアルでもお付き合いがある方には、再度お知らせ葉書を書かせていただきますね。
 また、やはりこちらもTwitterに書きましたが、Pixiv版(半コメディ・ギャグなどですが)のほうは、よほど体調を崩さない限りは大丈夫です(過去に腎盂腎炎になりながら、それでも原稿をやっていた人の言葉)……。
 次の原稿は、延びに延びていたクリスマス小説になる予定です!


 それではまた、10月にお会いしましょう。
 花宮あずみでした(イクシッ!)

だいじなお知らせです

 こんにちは、花宮あずみです。
 突然のできごとですが、わたしはある病気に罹りました。
 どなたでも罹りうる病気です。
 病名は個人的なことなので、現在は伏せさせていただきます。


 この病気について、わたしなりに調べてみました。
 服薬が必要であること、場合によっては入院もあるということ。
 寛解までに何ヶ月かを要するということ(寛解=完治ではありません。病状が落ち着くことです)
 もしかしたら、年単位かかってしまうかも知れない、ということ  



 わたしは8月末日現在、自宅療養をしています。
 発病の兆しが見られたのは、8月あたまでした。そこから服薬を開始しています。
 また、定期的な通院で、主治医に様子をしっかりと見てもらっています。
 何故、この病気になったのかは分かりません。ですが、はっきりと言えることは、
「或る日」「突然」「前触れは思えばあったけど」「この病気に誰もがなりうる」
 ……ということ、です。


 しかし、わたしは『楽園追放』二次創作小説を書くことをやめません。
   やめられない、のです。
 病状が悪化したり、薬の副作用などで苦しいときは書けませんが、わたしはやはり、ディンゴとアンジェラ、そしてフロンティアセッターを愛してやまないのです。
 pixivへのアップも、体調不良により未定になりました。原稿は8〜9割くらい書けていますが……。
 同人誌もまた、寛解までは脱稿・入稿にこぎつけることができません。


 それでも、生暖かく見守っていただければ、たいへん幸いです。
 これからも、花宮あずみをよろしくお願いいたします。
 病気になったからといって、わたしの何かが変わったりするわけではありませんので。


 それでは、9月にまたお会いしましょう。



 私事ではありますが、9月は愛猫の誕生月になります(保護猫なので推定ですが)
 嬉しいことに、元気に長生きしてくれています。

7月の終わり

 こんばんは、花宮あずみです。
 明日から、8月に入りますね。


 今月はいろいろありました。
(特に昨晩、Macがおかしくなったりと。推敲直後の原稿が入っていました)
 いいことも悪いこともいろいろありましたが、夫の様子を見ている限りは「これ以上悪いことなんか何処にある?」という感じです。「困ったときの神頼み」ではありませんが、もう本当に神頼みしたいというレベルです。

 さて、明日はかなり早いので、この辺で失礼したいと思います。

忘れじの

 おはようございます、花宮あずみです。



 突然ですが、わたしには忘れられない友人がいます。
 もう明確には覚えてはいませんが、15年ほど前になるでしょうか。

「あずみ、会いたいよ。今度、オフ会開かない?」

 或る日、そう持ちかけられたのでした。
 わたしは快諾しました。断る理由はどこにもありませんでした。
 数人が集まったオフ会は、夜遅くまで続きました。
 カラオケ、居酒屋。いろんなところをまわりました。弱いお酒も少し、嗜みました。

「あぁ、あの日はすっごい楽しかった!
 今度はうちの近くでオフしようよ。良いお寿司屋さんがあるんだよ」

 チャット全盛期  
 チャットでその発言を目にしたのが、彼女との今生の別れになるとは、思いもよりませんでした。
 それともそれは、わたしがあまりにも子どもだったからでしょうか……今となっては、知るよしもありません。


 それからしばらくして。
「Yを見かけないんだけど、知らない?」
「特に何も聞いてないけど……」
 チャットは、彼女の話題で持ちきりになりました。
 誰もが彼女の登場を、待ち望んでいました。

 すると、Sという人が、流れるような文章をチャット画面に打ち込み始めました。
「あずみ、Yは死んだんよ」
「末期のがんだった」
「Yは医療の仕事をしていたから、薄々と勘づいていたとは思うよ」
「あのオフ会のときには、もう骨にまで転移してたんやて」
「同情されたくないから、隠しておいてくれって頼まれたんよ」

 わたしは、頭の中が真っ白になりました。
 ……ああ、何も考えられないってこういうことをいうんだ  
 気づいたらわたしは、床に這いつくばって号泣していました。
 自分のどこからこんな大声が出るのか、とびっくりするほどの、それは慟哭でした。
 あふれ出る、こぼれ落ちる涙で、前が見えなくなるほどに泣きました。声をあげて。



 Yは優しい女性でした。そして、強い母親でもありました。
 オフ会のとき、わたしが真っ先に気にしたのは、Yの脚でした。
「Y、どうしたんその脚。杖までついて痛そうやね。出てきて大丈夫やったん?」
「結構ひどく、挫いてねぇ。骨までガタがきちゃったみたいって整形外科で言われた」

 あのとき。
 なぜわたしは。
 Yのことばの真意を見抜けなかったのかと、今でも自分の幼さを悔いています。
 Yは、決して嘘をついてなどいなかったのです  彼女の脚に、がんは転移していました。

 医療に携わる仕事をしていた彼女には、自分の余命がわかっていたのかもしれません。
 入院もせず、自宅で読書をしたり編み物をしたりして過ごしていたことを、後から知りました。


「ねぇ、あずみ、知ってる? モルヒネよりも強い鎮痛効果がある薬があるんだよ。
 小説のネタに使えるかもね」
 チャットでそう彼女が教えてくれたのは、彼女が医療系の仕事をしていただけではなかったのです。
 Y自身が疼痛コントロールにその薬を使ったことがあったからこそ、知っていたのだと今では思います。

 ここでもやはり、わたしは彼女の言いたいことを摑み損ねていました。
 そうして、2度目のオフ会を迎える前に、彼女は逝ってしまいました。



 それ以来、わたしにYの死を包み隠さず告げたSは、急にチャットで疎まれるようになりました。
 確かにSにも原因はありますが、わたしは今、こう思うのです。

   憎まれ役を買って出たのかもしれないと。



 それからチャットは終焉を迎え、今やYやSのことを知っている人間も、少なくなりました。
 彼ら・彼女らとは、かろうじて別のSNSでつながっている、そんな感じです。



   梅雨に入ったら。
   紫陽花が咲くたびに。

 わたしは、YとSを思い出すのです。



 それからずいぶん経過してからになりますが、わたしは結婚を控えていたこともあり、乳腺外科を耳鼻科の主治医から紹介してもらいました。理由はもっともなもので「もし、わたしの体のどこかに異常があれば、嫁ぐ前に(皆に)伝えたいし、治しておきたいから」でした。
 検査結果は、異常なしでした。
 来月か再来月には、再度乳腺外科への予約を入れる予定です。
 そんなわたしも、去年は子宮がん検診で引っかかり、精密検査を受けました。結果は悪性ではありませんでしたが、診察日の前夜などは怖くてたまらなくて、泣いたりしていました。診断結果を知らせられるだけでも、こんなに怖いのです。
「あなたには進んだがんができていて、5年生存率は……余命は……」
 と知らせられる人の恐怖や絶望は、いかばかりかと思われます。


 わたしは、がんの治療のみでなく、ショックを受けた精神面での治療も患者さんに対しておこなわれることを、願ってやみません。
 おそらく、Yも泣いたのだと思いますから。わたしが怖くて泣いた以上に。